大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌地方裁判所 昭和63年(行ウ)1号 判決 1990年1月29日

原告 山内昭彦

被告 北海道知事

代理人 小川賢一 四村庄一 ほか四名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告の請求の趣旨

1  被告が昭和六二年五月一三日付けで原告に対してした船員保険法に基づく職務外の事由による傷病手当金を支給する旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  原告の資格

原告は、昭和六一年五月一〇日、根室市に本店を有する宝来産業株式会社(以下「宝来産業」という。)所有の漁船第八八宝来丸(総トン数約二八九トン、乗組員一八名。以下「宝来丸」という。)の甲板員として同船に乗り組み、同日、船員保険法の被保険者(釧Dほろゆ第七五七号)としての資格を取得した。

2  災害の発生

宝来丸は、昭和六一年五月二八日、根室市花咲港を出港し、西中部太平洋上の漁場に向かって航行していたが、原告は、同年六月二二日午前八時四〇分ころ、宝来丸の船長である木野田才光(以下「木野田船長」という。)からマキリ包丁で腹部を刺され、腹部刺創、敗血症、急性腎不全等の重症を負った(以下「本件災害」という。)。

3  職務外の事由による傷病手当金支給処分の存在

原告は、昭和六二年四月二八日、被告に対し、本件災害は船員保険法(昭和一四年法律第七三号)三〇条二項一号の「職務上の事由に因る疾病又は負傷」に該当するものとして、右受傷による療養期間である同六一年六月二二日から同年八月二九日までに係る職務上の事由による傷病手当金の支給を請求したところ、被告は、審査の結果、所管の釧路社会保険事務所長において、同六二年五月一三日、同六一年六月二二日から同月二七日までの療養期間について、原告が船舶内にあったため、法五三条一項一号により、傷病手当金を支給せず、同月二八日から同年八月二九日までの療養期間について、原告の受傷は法三〇条二項三号の「職務外の事由に因る疾病又は負傷」に該当するとして、原告に対し、職務外の事由による傷病手当金を支給する処分(以下「本件処分」という。)をし、さらに、同六二年六月六日には、同六一年八月三〇日以降の療養期間について、原告が同日に船員保険の被保険者の資格を喪失し、同日付けで、疾病任意保険継続被保険者(法一九条ノ三第一項)となったため、所管の小樽社会保険事務所長において、原告の受傷は法三〇条二項三号の「職務外の事由に因る疾病又は負傷」に該当するとして、職務外の事由による傷病手当金を支給する処分をした。

原告は、本件処分を不服として、同年六月一五日、北海道社会保険審査官に対し、審査請求をしたところ、北海道社会保険審査官は、審査の結果、本件災害は、職務遂行中の木野田船長が職務待機中の原告の恣意的言動に挑発されて引き起こしたもので、原告が当該職務に従事したための災害とは認められるが、職務に従事したこととの間に相当因果関係は認められず、法三〇条二項三号の「職務外の事由に因る疾病又は負傷」に該当するとして、同年八月三日、原告の審査請求を棄却する旨の決定をした。

原告は、右決定を不服として、同年八月二五日付けで、社会保険審査会に対し、再審査請求をしたが、現在に至るまで社会保険審査会の裁決はされていない。

4  結論

しかしながら、原告の受傷は、職務上の事由に基づくものであるから、本件処分は違法であり、取り消されるべきものである。

二  請求原因に対する被告の認否

請求原因1ないし同3の事実は認めるが、同4は争う。

三  被告の抗弁

本件災害は、法三〇条二項三号の「職務外の事由に因る疾病又は負傷」に該当するものであるから、本件処分は適法である。

1  災害の発生経緯

(一) 原告は、昭和六〇年ころから、宝来丸に甲板員として乗り組んでいた者であるところ、同六一年五月一五日、出航準備のため、宝来丸に乗り組んだ。他方、木野田船長は、原告と同じく、同日、出港準備のため、宝来丸に船長として乗り組んだが、イカ流し網漁に従事することや漁船に船長として乗り組むことは初めての経験であった。

(二) 宝来丸は、出航準備を終えた同月二八日、根室市花咲港を出航し、北太平洋海域において、イカ流し網漁に従事していた。原告は、宝来丸にあってはイカ流し網漁の経験が豊富であったことから、宝来丸の他の経験未熟な乗組員を侮辱し、あるいは、罵倒するなどしていたが、木野田船長に対しても同様の態度を取り、木野田船長が船長として漁船に乗り組むのは初めてであり、イカ流し網漁の経験もなく、漁労作業等に不慣れであったことをよいことに、宝来丸に乗り組んで以来、船長の職務権限に属する宝来丸の当直員配置を木野田船長に無断で決定するなどして木野田船長の船長としての立場を全く無視したうえ、他の乗組員の面前で、再三にわたり、木野田船長に対し、「おまえは名前だけの船長だ。船長にこの仕事ができるかな。」などと言って、木野田船長を侮辱・嘲笑し続けていた。このため、木野田船長は、原告に対し、憤まんの念をつのらせ、いつか原告に仕返しをしてやろうと考えるようになった。

(三) 更に、木野田船長は、宝来丸に甲板員として乗り組んでいた実兄の木野田武衛門(以下「木野田兄」という。)が、操業中に原告に些細なことから鉄パイプで殴られそうになったこともあって、原告を袋叩きにしようと木野田兄と相談しあったり、原告らと喧嘩になる場合に備え、マキリ包丁をぼろきれに包んで宝来丸の船橋内右舷見張り用椅子内側の小物入れに隠しておいたりしていた。

(四) 宝来丸は、昭和六一年六月一六日から機関の調子が悪くなり、翌一七日には機関が故障したため、翌一八日にイカ漁の操業を一旦中断して、同海域で操業している僚船の迷惑を考え、操業区域を離れて機関修理のため漂泊し、同月二二日未明にかけて、再び操業を開始すべく機関修理を継続していた。

(五) 木野田船長は、同日午前〇時から同五時までの間、宝来丸の船橋で見張りのための当直勤務につき、その後実兄と将棋をさすなどしてから、鍋谷勝次甲板員(以下「鍋谷甲板員」という。)と共同使用している船室に戻ったところ、原告が右船室の前で船長が管理する医薬品(風邪薬)を自分に無断で持ち出して他の乗組員に与えているのを目撃したことから、原告がまたもや自分をないがしろにしていると考えて立腹したが、その場は感情を抑え、同日午前八時ころ、それまで船橋で当直勤務についていた和田冨昭漁労長(以下「和田漁労長」という。)と交替し、宝来丸の船橋において、見張りのための当直勤務に就いた。そして、木野田船長は、同日午前八時半ころ、煙草を取りに右船室に戻ったが、原告がまだ同船室で鍋谷甲板員と話をしていたことから、木野田船長は、原告が自分に無断で医薬品を持ち出すなどして継続的に自分をないがしろにする態度を取っていることを思い出し、原告に対し、「何だ、まだいるのか。」などといやみを言ったところ、原告がこれに反発して言い返したため、口論となった。

(六) その場は一旦口論も収まり、木野田船長は、同日午前八時四〇分ころ、再度船橋に赴き、見張りのための当直勤務についていた。

木野田船長の態度に腹立ちが収まらなかった原告は、二、三〇分後、船橋にいた木野田船長のもとに赴き、木野田船長に対し、「部屋に行っちゃわるいのか。」と声を荒げて言った。すると、木野田船長から「いいとも悪いとも言ってねえだろう。なんだその目つきは。格好つけるなよ。おまえは何でもやり過ぎなんだよ。」などと言われたため、原告は、木野田船長に対し、「何がやり過ぎなんだ。名前ばかりの船長のくせに。仕事は俺の四分の一しかできんくせに。煙草みたいに海へ放り込んでやるから外へ出ろ。」などと暴言を吐いたうえ、木野田船長の頭や胸を平手で小突き、さらには、木野田船長が吸っていた煙草を平手で払い落とすなどの暴行を加えた。ここにおいて、木野田船長は、宝来丸に乗り組んで以来、内面にうっ積していた原告に対する憤まんが一気に爆発し、前記マキリ包丁で原告の腹部を突き刺し、原告に腹部刺創、敗血症、急性腎不全の傷害を負わせた。

2  災害の業務起因性の不存在

(一) まず、本件災害の当日に至るまでの経緯からみると、原告は、宝来丸にあっては、イカ流し網漁の経験が豊富であったことを鼻にかけ、宝来丸の他の経験未熟な乗組員を侮辱しあるいは罵倒するなどし、木野田船長に対しても同様の態度を取り、木野田船長が船長として漁船に乗り組むのが初めてであり、イカ流し網漁の経験もなく、漁労作業等にも不慣れであったことをよいことに、宝来丸に乗り組んで以来、船長の職務権限に属する宝来丸の当直員配置を木野田船長に無断で決定するなどして木野田船長の船長としての立場を全く無視していたものであって、それ自体既に原告の船員(甲板員)としての職務に属しない行為であることが明らかである。

また、原告は、宝来丸に乗り組んで以来、他の乗組員の面前で、再三にわたり、木野田船長に対し、「おまえは名前だけの船長だ。船長にこの仕事ができるかな。」とか「ろくたも役に立たねえ奴だ。」などと言って、木野田船長を侮辱・嘲笑し続けていたものであって、原告のこのような行為が甲板員としての原告の職務に属するものではなく、それに必然的に随伴し又関連する行為でもないことは明らかである。

そして、原告からこのように侮辱・嘲笑され続け、原告に対し、憤まんの念を募らせ、いつか原告に仕返しをしてやろうと考えるようになった木野田船長の感情は、原告や木野田船長の船員としての職務に関する事柄をめぐって生じたものではあるものの、それは発端がそうであるというだけのことであって、原告や木野田船長の職務とは無関係な私的な怨恨に基づくそれに転化しているものといわざるをえない。このことは、木野田船長が、宝来丸に原告と同じく甲板員として乗り組んでいた木野田兄が操業中に些細なことから原告に鉄パイプで殴られそうになったこともあったことから、宝来丸が八戸港に寄港した際に地元のやくざを頼んで原告を袋叩きにしようなどと木野田兄と相談しあったり、原告と喧嘩になる場合に備えてマキリ包丁を船橋内右舷見張り用椅子内側の小物入れに隠しておいたという事実に照らしても明らかである。

(二) 次に、本件災害の当日に原告と木野田船長が同船長の自室において口論するに至った経緯についてみると、宝来丸は、昭和六一年六月一六日から機関の調子が悪くなり、翌一七日には機関が故障したため、翌一八日にイカ漁の操業を一旦中断して操業区域を離れて機関修理のため漂泊し、同月二二日未明にかけて、再び操業を開始すべく機関修理を継続し、原告は職務待機中であった。一方、木野田船長は、同日午前〇時から同五時までの間、宝来丸の船橋で見張りのための当直勤務につき、その後実兄と将棋をさすなどしてから、鍋谷甲板員と共同使用している船室に戻ったところ、原告が右船室の前で船長が管理する医薬品(風邪薬)を自分に無断で持ち出して他の乗組員に与えているのを目撃した。原告のこの行為は、木野田船長の職務権限を全く無視した行為であって、それが甲板員としての原告の職務に属するものではなく、それに必然的に随伴し又は関連する行為でもないことも明らかである。

木野田船長は、自分をないがしろにしている原告のこのような態度に立腹したものの、その場は感情を抑え、同日午前八時ころ、和田漁労長と交替して、宝来丸の船橋において、見張りのための当直勤務に就いた。そして、木野田船長は、同日午前八時半ころ、煙草を取りに右船室に戻ったところ、原告がまだ船室で鍋谷甲板員と話をしていたことから、木野田船長は、原告が自分に無断で医薬品を持ち出すなどして継続的に船長の職務権限を無視し、また、木野田船長をないがしろにする態度を取っていることを思い出したことから、原告に対し、「何だ、まだいるのか。」などといやみを言ったところ、原告がこれに反発して言い返したため、口論となった。右口論は、木野田船長が原告にいやみを言ったことが直接の発端となってはいるが、木野田船長が発した言葉の根底にはそれまでの間に、原告から、宝来丸の船長としての職務権限を無視され、また、他の乗組員の前で再三にわたり、侮辱され嘲笑され続けてきたことに端を発する原告に対する私的な怨恨が存在していたことは明らかである。したがって、右口論は、原告の船員としての職務の内容又は性質に内在し関連する要素に基づくものというよりは、それとは無関係な原告自身が有する性格等の私的要素に起因するものというべきである。

(三) さらに、右のような木野田船長の自室における口論後に木野田船長が原告に傷害を加えるに至った経緯についてみると、原告と木野田船長との間の口論は、その場は一旦収まり、木野田船長は、同日午前八時四〇分ころ、再度船橋に赴き、見張りのための当直勤務についていたところ、原告は、木野田船長の態度に腹立ちが収まらなかったことから、わざわざ宝来丸の船橋で当直勤務についていた木野田船長のもとに赴き、木野田船長に対し、「部屋に行っちゃわるいのか。」と声を荒げて言ったため、木野田船長から「いいとも悪いとも言ってねえだろう。なんだその目つきは。格好つけるなよ。おまえは何でもやり過ぎなんだよ。」などと言われ、原告は、木野田船長に対し、「何がやり過ぎなんだ。名前ばかりの船長のくせに。仕事は俺の四分の一しかできんくせに。煙草みたいに海へ放り込んでやるから外へ出ろ。」などと暴言を吐いたにとどまらず、木野田船長の頭や胸を平手で小突き、さらには、木野田船長が吸っていた煙草を平手で払い落とすなどの暴行を加えるに及んだ。原告のこのような暴行は、甲板員の船長に対する言葉のやり取りとしても行き過ぎであるばかりでなく、暴行を加えるに及んでは、いかなる意味においても、社会的相当性を欠如しているものであり、原告の甲板員としての職務とは全く関係のない行為であるといわざるをえない。

さらに、原告は、木野田船長の自室における、木野田船長との間の口論が一旦収まって二、三〇分後、わざわざ船橋において当直勤務中の木野田船長のもとに赴いたのであるが、前記のとおり、原告はその際は職務待機中であり、職務には就いていなかったものであるから、職務上の事実と時間的場所的関連性にも乏しいというほかなく、船橋における原告の受傷は、原告の職務とは全く関係のない私的挑発行為に基づくものであるといわざるをえない。

原告の受傷が原告の船員(甲板員)としての職務内容及び性質と関連性を有するものでないことも明らかである。

3  まとめ

結局、本件災害は、原告が当該職務に従事していた間に発生した災害とは認められるものの、その職務上の事由に基づくものとは認められず、原告の受傷は法三〇条二項三号の「職務外の事由に因る疾病又は負傷」に該当するものである。

四  抗弁に対する原告の認否

抗弁事実は、否認する。

五  抗弁に対する原告の主張

1  災害の発生経緯

(一) 原告と木野田船長とは、昭和六一年五月一五日ころ、根室市花咲において初めて会ったもので、それ以前には面識はない。木野田船長は宝来産業の従業員となって船長として宝来丸に勤務し、原告は宝来丸の漁船員として宝来丸に乗り込むことになった。この間、原告と木野田船長は出航準備の為に網仕立ての作業やサツマ入れ(ロープの輪を作る作業)等の作業を行っていたが、木野田船長はその作業に不慣れのため原告が作業の要領などを教えていた。しかし、原告と木野田船長との間では右のような作業以外に私的なトラブルは存しなかった。

(二) 宝来丸は、同月二八日花咲港から出航し、北太平洋海域においてイカ流し網漁に従事し、六月一六日から同月一八日までイカ漁の作業を一旦中断し、同月二二日ころまで機関修理をした。この間、原告は他の漁船員と共にイカ漁の操業に従事し、一方、木野田船長は、船の海図検討、操舵、当直などの船長としての業務に従事するかたわら、他の漁船員と同様に網揚げ、イカの箱詰めなどの作業に従事していた。

原告は、身分は平漁船員であるが、約二〇年間漁船に乗り組んでいるため漁船の作業については熟練しており、いわば、ベテラン乗組員の域に達していた。それに反し、木野田船長は、漁船乗組みの経験は約二年程度であり、他は陸上貨物の運転手や貨物船での航海士としての仕事に従事していたものであって、船長の業務は本船が初めてであるという状態であった。そのため、出航以来、原告は漁船作業のベテラン乗組員として、他の漁船員の指導に当たる立場にあったことから、上司である和田漁労長、菅原秀信甲板長(以下「菅原甲板長」という。)及び高橋充志冷凍長(以下「高橋冷凍長」という。)から「ぶん殴っても、やり方を教えてやれ。」との指示を再三にわたって受けていた。約一八名程度にすぎない乗組員の小型の漁船で太平洋を航行し、適切な漁場で売り上げを確保するためには、厳しい労働と迅速な作業処理、漁魚の慎重な箱詰め、冷凍処理のほか、労働災害の防止等に意を用いる必要があり、それは上司らのもっとも期待する事柄であった。そのため、ベテラン漁船員である原告も、上司の意を体し他の漁船員に対して厳しい躾を施し、教育を行い、必要な注意も行っていたのである。

(三) 原告は、上司の意を受けて、木野田船長に限らず、他の漁船員に対しても等しく必要な注意等を行っていたものであり、例えば、木野田船長に対し、次のような注意や指導を行っていた。

(1) 時化で漁を休んでいたときでも、何もしないで休んでいたのでは時間がもったいないので、漁船員らは網作りの作業を行っていたが、他の漁船員の場合は原告の教えたとおりに作業を行い完成させていたのに、木野田船長は下手で、失敗ばかりしていた。そのため、原告は、木野田船長に対し、「分からなければ聞きに来い。」というと、聞きには来るが、理解できず分かった振りをして又失敗するというふうで何回やり直しても仕上げられなかったことから、他の漁船員の前で「何回言ったら分かるんだ、他の者は休んで良いが、船長は最後まで責任持って仕上げれ。」という趣旨の指摘をし、その後、和田漁労長らとともに麻雀に興じたりしていた。木野田船長は、その後、一人で網作り作業を行っていたが、これをみかねた高橋冷凍長がこの作業を手伝い完成させるに至ったが、木野田船長にとっては、プライドを傷つけられたと感じたと思われる。

(2) また、イカ漁の網揚げの際、漁船員らは、作業処理に全力を挙げ、かつ、全員が気持ちを一つにして共同で迅速に作業を処理しなければならないところであったが、木野田船長は平素からの教育を真面目に受けないため、このような迅速を要する作業の時であるにもかかわらず、機敏性に欠ける作業態度であるので、他の漁船員の作業にも支障をきたし、かつ、網に巻き込まれたり、海中に投げ出されたりする事故発生の危険があった。そのため、原告は、木野田船長に対し、「俺がやるからよけてれ。」といってこの場の作業から外したりしたこともある。木野田船長にとっては、他の漁船員の前で仕事から外されたことになり、面白くない気持ちが起きたと思われる。

(3) 原告は、平漁船員の身分にすぎないが、ベテラン乗組員として和田漁労長らが中心となって行うミーティングにも参加していたところ、上司らは航行を安全に行い、適切な漁場を探すための打合せを行ったが、不幸にして宝来丸が故障続きで漁獲量の増加も思うようにいかない状況になっていたにもかかわらず、航行の責任者である木野田船長の能力が劣るため、海図の検討をする必要があった。原告は、従来からの経験で海図を検討する能力があったが、木野田船長が海図に基づいた適切な航行方向を探し当てることができないので、木野田船長に対しその誤りを指摘し、正しい海図の見方や図面引きを指導したこともある。その際、木野田船長としては、原告に海図の検討ができて自分にはできないことにプライドを傷つけられたと思われる。

(4) 原告は、経験の乏しい漁船員に対し、日頃から上司に指示されていたとおり、作業上の注意や教育を行っていたが、それは、木野田船長に対してだけでなく、他の漁船員に対しても同様の扱いをしており、たまたま、宝来丸には木野田兄がいたが、同人に対しても同様の教育を行っていた。

冷凍庫では、原告が高橋冷凍長の部下で、木野田兄がまたその部下となっていた。冷凍庫の作業は水揚げされた魚を箱に詰め冷凍棚に保管するのであるが、このとき魚の商品価値を維持するためには、きちんと揃えて箱詰めし、かつ、箱を水平に荷崩れしないようにして冷凍庫内に納めなければならないことになる。ところが、木野田兄は、魚や箱を乱暴に扱うので、原告は魚がいたんでは困ると思い、「自分がやるからよい。」といってその作業を取りあげた。冷凍庫の棚には、魚箱が船の傾きによって落下しないための鉄枠(鉄パイプ)を多数設けているが、原告は木野田兄を叱るときに、たまたま鉄パイプを移動する作業をしており、多少乱暴に動かしたため、木野田兄はこれを殴りかかられたように感じたものである。木野田兄にとっては、作業をとりあげられた直後であるため、あたかも殴られそうな気持ちになった。

(5) 原告は、作業中右の事案のほかにも木野田船長に対し何度か注意したり、教育したりしていたのであるが、ときにはその注意も口うるさくなることもあり、木野田船長にとっては必要以上にいじめられたように感じることもあったと思われる。

(四) 本件災害の当日の午前六時ころ、木野田船長は木野田兄と将棋を指すなどしてから自室の前廓下に戻ったところ、原告が自室の壁に掛けてある薬品庫の鍵を使用して、廓下に備えられている薬品庫から風邪薬を取りだし、他の漁船員に交付しているところを目撃し、苦々しく思っていた。しかし、薬品庫は、本来、船長の保管業務に属する事柄であるが、平素から木野田船長が薬品庫内の在庫品の点検等も行わず、適切な薬品を漁船員らに与えることができないため、やむなく、原告が漁船員等に対し薬品を与えていたものである。しかし、原告は、薬品を他に与える場合に無断で行ったのではなく、そのつど、木野田船長に告げてその了解のもとで処理していたが、そのような例は、数回にとどまらず、日常化していたため、本件災害の当日も、特段、悪意なく、他の漁船員に薬を与えてしまったものである。

(五) 同日午前八時ころ、木野田船長は、和田漁労長と交替して船橋で見張り作業に就き、午前八時半ころ、煙草を取りに自室に戻ったところ、船室には、原告と鍋谷らがおり、海図を広げ、宝来丸の操業すべき漁業域について話し合ったり、雑談をしていた。これを見た木野田船長は、原告に対し、「なんだ、まだ居るのか。」などといやみを言った。原告は、別に作業時間ではなく、仕事をさぼっているわけでもなく、むしろ、木野田船長が気分を害しているのは、先程の風邪薬のことが原因だと考え、「風邪薬を取りに行っただけだ。」などと木野田船長に反論し、木野田船長は右の風邪薬の件について「いいとも悪いとも言ってないね。」などと言い返した。

もともと、薬品の扱いは、前述したとおりであって、平素から原告が船長の代理として処理していたもので特段問題にすることではない。むしろ、木野田船長が不愉快になったのは、自分には海図の扱いができず、以前に、原告から指摘されて不愉快に思っていた前例があるため、原告が他の漁船員に対し、海図の話をしていたのを目撃し、これが最大の理由となっていたものである。原告は、このような木野田船長の不愉快な態度に対し、自らには非はなく、かえって、木野田船長が原告を挑発する態度に出たことを不愉快に感じたが、同室の鍋谷の前では口論したくないため、直ちに船室を出て、船橋に戻った木野田船長を訪れたのである。

(六) 原告と木野田船長との口論の内容は、おおむね、次のとおりであった。

(1) 木野田船長が原告に述べた言葉は、「いいとも悪いとも言ってねえだろう。」「なんだ、その目つきは、格好つけるなよ。」「八戸に入ったらおまえを船から降ろすからな。俺は船長だからそれくらいのことはできるんだぞ。」「それとも俺が降りるか。」「おまえの顔を見ると気分が悪くなるから帰ってくれ。」「名前ばかりの船長でもいいからおまえやってみろ。」「煙草みたいに海に放り込めるならやってみろ。」などである。これに対し、原告が木野田船長に対して述べた言葉は、「部屋に入っちゃ悪いのか。」「何がやりすぎなんだ。」「名前ばかりの船長のくせに。」「海に放り込んでやろうか。」「やってやるから出ろ。」などである。

右のやり取りからみれば、挑発し、かつ、攻撃に出ているのは、木野田船長であり、木野田船長との口論内容は、すべて職務に関する事項ばかりである。

(2) 木野田船長の言葉の中に「八戸に入ったらおまえを船からおろすからな。」というくだりがあるが、これを聞いた原告は、数日前、和田漁労長らの上司達が「船長は仕事もできず真面目でない。」という理由によって、次の航海では乗船させないと話し合っていたのを聞いていたため、むしろ、船から降ろされるのは木野田船長の方だと内心思い、おかしくなり笑いかけてしまった。

このような例からみても、原告の木野田船長に対する応答は、木野田船長に比べて冷静であり、要は、木野田船長の挑発的な態度に対し抗議をするといった程度の軽いものであった。

(3) 原告と木野田船長との口論の際、原告は木野田船長のくわえていた煙草を払ったことはあるが、それは木野田船長がくわえ煙草のまま原告の顔に向かって激しく話すので、その煙草の火が原告の顔に当たるのを防ぐためであったし、木野田船長の肩をこづいたのも反対に木野田船長が原告の胸を押しつけたり、手を払ったりしたことによるもので、相互に軽くこづきあっていた程度のものであった。原告は木野田船長より体格も良く喧嘩ともなれば木野田船長を負かすことは容易であるが、喧嘩をするつもりは全くなかったので、木野田船長がやにわに刃物を持ち出したり、これを振り回すなどの行動に出るとは予想もしていなかったのである。

これに対し、木野田船長は、マキリを取り出し、原告の腹部を刺したことに続き、逃げる原告を追いかけたりした。たしかに、原告の受傷内容は重傷であるが、木野田船長の行動自体からいえば、椅子からマキリを取りだし、直立している原告の腹部に一回刺したというものであって、何回にもわたって執拗に攻撃したりしたものではない。時間的にみれば、一瞬のできごとというべきものである。

釧路地方裁判所における木野田船長に対する殺人未遂被告事件の判決では、本件事件に使用されたマキリについて、木野田船長が以前から見張り用椅子の中に隠し持っていたもので、原告らとの喧嘩の際使用する目的で保管していたと認定し、あたかも、計画的な犯行であると判示しているが、その認定となった根拠は検察官の強引な捜査に基づく密室調書だけであり、到底信用できない。検察官調書によれば、右マキリをもって殺害しようと企んでいた相手方は、原告だけでなく、菅原甲板長、高橋冷凍長でもあるとしており、そうだとすれば、木野田船長は宝来丸の上司のほとんどを殺害する目的をもっていたことになる。木野田船長は他の漁船員らの説明によって判るとおり、比較的おとなしい男であって、むしろ、喧嘩を避ける性格であると評価されている。本件マキリが船橋にあったのは、当初は机の上や椅子の下に保管されていたりしたもので、椅子の中に納められた以前には他の上司達も何回も目撃しているところである。マキリは単に甲板上の作業に使用するだけでなく、保管庫以外でも随時使用できる状態になっていた。船橋では、マキリを魚の処理をするのに使用するだけでなく、ロープの切断に用いたりすることもあって事故のときなどに素早く対処できるよう同室に放置されていたこともある。したがって、船橋内にマキリが置かれていたことは特別に異とすることではない。また、本件に使用されたマキリと同種のマキリは、宝来丸にあと二丁あり、これらの三丁のマキリは本件災害の年に買ったものではなく以前に購入した新品のものであった。以上のとおり、木野田船長は、本件に使用したマキリを原告を殺害する目的で事前に計画的に隠していたものでないことは明らかである。したがって、木野田船長がマキリを椅子から取り出して使用してしまったのは、原告と口論しているうちに、急にマキリの存在に気づき、一瞬の判断で行動に移してしまったものと認定するのがもっとも合理的な説明である。

2  災害の業務起因性の存在

(一) 本件災害は、発生場所が海上での漁船中であり、船長という宝来産業にあっても重要な管理者の地位にある者によって惹起されたものである。

(二) 本件災害の発生経緯は、原告が船橋で木野田船長と口論した理由、医薬品の取扱い、海図の検討のいずれをとっても、原告と木野田船長との間に生じた職務に関連する事柄ばかりであって、職務以外の私的な事柄によって生じたものではない。

(三) 本件災害の原因は、原告によるいわれのない木野田船長に対する私怨によるものではない。すなわち、原告は、漁船員としての経験は豊かで、一貫して職務に忠実であり、木野田船長に対する態度も未熟な船長に対する熱心な教育、訓練に徹したもので、その背景には漁獲量を確保し、航海の安全を図り、ひいては乗組員全員の収入を確保して無事に帰港することにあり、そのためには厳しい労働と迅速な作業処理、漁魚の慎重な箱詰め、冷凍処理、労働災害の防止に意を用いる必要があり、漁労長ら上司からの意を体し行ったもので、木野田船長に対する私怨の事情など一片もない。木野田船長は、原告の上司であるし、年齢も二歳年長であって、いじめを云々するような年齢でもなく、いじめとか挑発にあったというのは、単に感情的なことであって、漁船に乗り組む荒々しい海の男としての生活歴からいえば、取るに足らない感情であるといわねばならない。木野田船長は、能力においても精神においても未熟であり、折りに触れて原告から厳しい躾や注意ないし教育を受け、他の漁船員の前で叱責を受けたような事案が重なり、反省するどころか、原告の指導に対する反抗と船長としてのプライドを傷つけられたという理由で逆恨みをして本件災害を惹起したものである。

したがって、木野田船長の原告に対する加害は、船長としての職務に関連する反抗とプライドの維持がもっとも大きな原因なのであって、これはひとえに、職務に起因する災害そのものであるといわねばならない。

(四) 本件災害は、木野田船長が原告を挑発する態度に出たことにより、業務に関する話合いを行っている最中の出来事であり、計画的なものではなく、とっさに生じたものである。

(五) 本件災害は、基本的には、能力のない者を船長に任命し、管理を十分になしえなかった使用者側の責めに帰すべき範疇に属する事件である。

第三当事者の提出、援用した証拠

本件記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1(原告の資格の取得)、同2(災害の発生)及び同3(本件処分の存在)の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件災害が職務外の事由に基づくものであるとする被告の抗弁の当否について判断する。

1  <証拠略>によると、以下の事実を認めることができ、以下の認定に反する<証拠略>は俄かに措信することができず、他に以下の認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告と木野田船長とは、昭和六一年五月一五日ころ、根室市花咲港において初めて会ったもので、それ以前、両者には面識はなかった。木野田船長は宝来産業所有の宝来丸(総トン数約二八九トン、乗組員一八名)の船長として、原告は宝来丸の漁船員として宝来丸に乗り込むことになり、原告は他の漁船員と共にイカ漁の操業に従事し、木野田船長は、船の海図検討、操舵、当直などの船長としての業務に従事するかたわら、他の漁船員と同様に網揚げ、イカの箱詰めなどの作業に従事することとなった。

出航準備期間中、原告と木野田船長を含む乗組員らは出航準備の為に網仕立ての作業やサツマ入れ(ロープの輪を作る作業)等の作業を行ったが、木野田船長はその作業に不慣れのため原告から作業の要領などを教えられた。その際、原告と木野田船長との間では特に私的なトラブルは生じなかったが、木野田船長は原告から単に教えを受けるというのではなく、いびられるように感じていた。

(二)  宝来丸は、北太平洋海域においてイカ流し網漁に従事するため、同月二八日花咲港を出港した。

原告は、身分は平漁船員であるが、約二〇年間漁船に乗り組んでおり、昭和六〇年五月末ころから宝来丸のイカ流し網漁に従事しているため漁船の作業については熟練しており、いわば、ベテラン乗組員の域に達していた。それに反し、木野田船長は、昭和五一年七月に乙種一等航海士(現在は四級海技士≪航海≫)の資格を取得し、漁船乗組みは北転船において合計数年余り経験しているが、イカ流し網漁の経験は、今回宝来丸に乗り組む以前は全くなく、漁労作業等にも不慣れで、しかも、船長の業務は宝来丸が初めてであった。

原告は、宝来丸にあってはイカ流し網漁の経験が豊富であったことから、菅原甲板長から木野田船長を含む宝来丸の他の経験未熟な乗組員をよく指導してやってくれるようにと言われていたが、イカ漁の網揚げや時化で休漁中にした網作りの作業などの際、木野田船長らに対し、やり方を指導するにとどまらず、仕事ができないことをとらえて侮辱し、あるいは、罵倒するなどしていた。そのため、原告は、一般の乗組員の間では、和田漁労長、菅原甲板長、高橋冷凍長ら上司の機嫌を取り結ぶが、目下の者、経験未熟な者あるいは気の弱い者に対しては意地悪をする人物として嫌われていた。原告は、特に木野田船長に対しては、木野田船長が船長として漁船に乗り組むのは初めてで、イカ流し網漁の経験もなく、漁労作業等に不慣れであったこと及びおとなしい人物であったことから、他の乗組員の面前で、再三にわたり、「おまえは名前だけの船長だ。船長にこの仕事ができるかな。」などと言って、木野田船長を侮辱・嘲笑し続けた。加えて、宝来丸に甲板員として乗り組んでいた木野田兄も、冷凍作業中に原告と些細なことから喧嘩となり鉄パイプで殴られそうになり、鍋谷甲板員が中に入ってとめたという事件があって、菅原甲板長により冷凍作業から網作業へ配置転換されたことがあったので、木野田船長とともに原告を袋叩きにしようと相談しあったことがあった。

このようにして、木野田船長は、原告に対し、憤まんの念をつのらせ、いつか原告に仕返しをしてやろうという気持ちを持つようになり、日ごろから仲の悪い原告外一部の乗組員と喧嘩になる場合に備えて、マキリ包丁をウエスに包んで宝来丸の船橋内右舷見張り用椅子内側の小物入れに隠しておいた。

(三)  宝来丸は、昭和六一年六月一六日から機関の調子が悪くなり、翌一七日には機関が故障したため、翌一八日にイカ漁の操業を一旦中断して、同海域で操業している僚船の迷惑を考え、操業区域を離れて機関修理のため漂泊し、同月二二日未明にかけて、再び操業を開始すべく機関修理をしていた。

木野田船長は、同日午前〇時から同五時までの間、宝来丸の船橋で見張りのための当直勤務につき、その後実兄と将棋をさすなどしてから、午前六時半ころ、鍋谷甲板員と共同使用している船室に戻った。その際、木野田船長は、原告が右船室の前で船長が管理する医薬品(風邪薬)を自分に無断で持ち出して他の乗組員に与えているのを目撃し、原告がまたもや自分をないがしろにしていると考えて立腹したが、その場は感情を抑え、自室に戻り睡眠をとった。

その後、木野田船長は、同日午前八時ころ、それまで船橋で当直勤務についていた和田漁労長に起こされ、その指示で和田漁労長と交替し、宝来丸の船橋において、見張りのための当直勤務に就いた。木野田船長が起床した際、原告が自室に来て鍋谷甲板員と話しこんでいた。

木野田船長は、同日午前八時半ころ、煙草を取りに右船室に戻ったが、原告がまだ船室で鍋谷甲板員と話をしていたことから、原告が自分に無断で医薬品を持ち出して自分をないがしろにする態度をとったことを思い出し、原告に対し、とげのある口調で「何だ、まだいるのか。」などといやみを言ったところ、原告がこれに反発して「部屋にいちゃわるいのか。」などと言い返し、木野田船長は「いいとも悪いとも言ってねえだろう。」と言って部屋を出た。

その場は一旦収まり、木野田船長は、同日午前八時四〇分ころ、再度船橋に赴き、見張りのための当直勤務についた。

(四)  木野田船長の態度に腹立ちが収まらなかった原告は、二、三〇分後、船橋で左舷見張り用椅子に座っていた木野田船長のもとに赴き、木野田船長に対し「部屋に行っちゃわるいのか。」と声を荒げて言った。すると、木野田船長は、「いいとも悪いとも言ってねえだろう。なんだその目つきは。格好つけるなよ。おまえは何でもやり過ぎなんだよ。八戸に入ったらおまえを船から降ろすからな。俺は船長だからそれくらいのことはできるんだぞ。それとも俺が降りるか。そのときは保証金全部取るからな。おまえの顔を見ると気分が悪くなるから帰ってくれ。名前ばかりの船長でもいいからおまえやってみろ。煙草みたいに海にほうり込めるならやってみろ。」などと言ったため、原告は木野田船長に対し、「何がやり過ぎなんだ。船も満足に動かせない名前ばかりの船長のくせに。俺が網一つ作るのにおまえはなんぼ作った。俺の四分の一しかやってねえでねえか。煙草みたいに海へ放り込んでやろうか。やってやるから出ろ。」などと暴言を吐いたうえ、依然として左舷見張り用椅子に座っていた木野田船長の頭や胸を平手で小突き、さらには、木野田船長が吸っていた煙草を平手で払い落とすなどの暴行を加えた。

ここにおいて、木野田船長は、宝来丸に乗り組んで以来、内面にうっ積していた原告に対する憤まんが一気に爆発し、とっさに原告を殺害しようと決意し、右足先で原告の腹部を蹴りつけ、原告が後方によろけた隙に左舷見張り用椅子から立ち上がり、右舷見張り用椅子内側の小物入れにかねて隠しておいた前記マキリ包丁で原告の腹部を突き刺し、原告に腹部刺創、敗血症、急性腎不全の傷害を負わせ、さらに、「ぶっ殺してやる。」と叫びながら逃げる原告を追い掛けた。

2  右認定事実に基づいて検討すると、本件災害は、原告が、職務待機中、木野田船長の些細な言葉に反発して口論となり、一旦は木野田船長が原告のもとを離れたものの、原告において木野田船長の態度に我慢することができず船橋において当直に従事していた木野田船長のもとに赴き暴言をはいたり、小暴力を加えるなどして木野田船長を挑発しそれが木野田船長の立腹を誇発した結果生じたものであるが、右口論の背景には木野田船長が日ごろから漁労作業中の態度、医薬品の取扱いなどに関して、原告に対し抱いていた憤まんの蓄積があり、その憤まんをつのらせた原因は、漁獲量を確保し、航海の安全を図るためには厳しい労働と迅速な作業処理、漁魚の慎重な箱詰め、冷凍処理、労働災害の防止に意を用いる必要があったが、木野田船長が船長として漁船に乗り組むのは初めてであり、イカ流し網漁の経験もなく、漁労作業等に不慣れであったことなどから必ずしも満足のいくものでなかったこと及びおとなしい人物であったことなどから、原告が、菅原甲板長ら上司の意を受けていることをいいことにして、木野田船長の船長としての立場を全く無視し、他の乗組員の面前で、ことさらに再三にわたり、木野田船長を侮辱・嘲笑・罵倒するなどの行動を取り続けたことにあるということができる。そうすると、右口論に引き続いて発生した本件災害は、その発端において宝来丸におけるイカ流し網漁の業務と全く関連性がないとはいえないものの、蓄積された憤まんが一気に昂じて偶発的に起った私的喧嘩の色彩が強いものであり、木野田船長が加害行為に及んだのはその直前の原告の私的挑発行為によるものというべきであるから、右業務との相当因果関係を認めることができず、結局、本件災害が職務に起因するものということはできない。

したがって、原告の受傷が職務外の事由に基づくものであるとする被告の抗弁には理由がある。

三  結論

以上の事実によれば、原告の請求には理由がないから、棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 福永政彦 山田和則 冨田一彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例